こんにちは、謎の診断士です。
私は現在浜松の中小企業に勤務しているのですが、数年前までは家族を浜松に残し、単身赴任で東京の大手上場企業に勤務していました。
なぜ東京で働いていたのか。
なぜわざわざ東京の会社に勤務していたのか、理由はいろいろありますが、やはり一番は年収が高かったから。です。
拠点は東京でしたが、営業で全国を飛び回っていました。
週のうち、2日くらいは本社でミーティングなどをして、その他は北海道に行ったり、新潟に行ったり、長野に行ったり、いろんなところに行っていましたね。
で、金曜の夜遅くに浜松の自宅に帰り、月曜の朝早くに東京に向かう。
そんな生活でした。
どのくらい稼いでいた?
交通費や東京の家賃は全額会社持ち、なおかつリーダー的なポジションだったので、
年収は600万程度。
金銭的にはまぁまぁという感じでしたね。
特に地元で働く同世代と比べると結構高い方だったと思います。
そしてそれなりのポジションで仕事を任されてやりがいもあり、自分のキャリアアップも実感していました。
転職を考えたきっかけ
ただその反面、今思うと結構大変でした。
移動の毎日は体力的にもなかなかつらいですし、仕事面も成果をしっかり求められますし。
家族には土日に少しの時間会えますが、疲れていて子供の相手もおざなりといった感じ。
フィジカルもメンタルも結構消耗していましたね。
で、ふと思ったんです。
いつまでこれ続けるんだっけ?って。
正直、この会社でずっと勤めるイメージはわかなかった。
既に年齢は30代半ば。
最終的には地元にもどって仕事をしたいという思いはずっとあったので、
じゃあそれいつなの?ってなったときに、
結構焦ったんです。
転職サイトに登録していろいろ面談をしてみると。
30代後半になると、転職が一気に厳しくなる。
ということを知りました。
まぁ、普通に考えればそうですよね。
よっぽど即戦力になるスキルを持っていて、それがたまたま企業とのマッチングが実現すればよいですが、
これ以降の年齢だと、まずポテンシャル採用は無いですよね。
何より、子供がまだ小さかったので、今の時期にもっと家族で過ごす時間を確保したい。
という強い想いがあり、転職エージェントと面談を重ねた結果、
浜松の中小企業に転職を果たしたんです。
地元へのUターン転職してどうなった?
で、結果どうなったか。
表題の通り、QOL爆上がりですよ。
なにより自由に過ごせる時間がめっちゃ出来ましたね。
でなきゃ、中小企業診断士に一発合格なんてできないですし。
・仕事は8時半~17時半。
・車通勤なのでこれまでのような満員電車もなし。車で15分位。
・残業もほぼないので、18時には家についている。
・ほぼ毎日夕食を家族と食べる。
・ほぼ毎日子供とお風呂に入る。
・ほぼ毎日子供を寝かしつける。(夜8時位)
・そこから夫婦でお酒を飲みながらアマゾンプライムで映画を見る
・(もしくは本を読んだり、診断士の勉強に時間をあてていた。)
・土日も仕事の事は考えず、子供と遊びに出かけられる。
リアルにこんな感じです。大げさに書いているわけではないです。
ほんとこんな感じなんです。
これまででは考えられない位の平和な日々です。
年収は下がった。でも結果上がった。
唯一のデメリットはやはり年収ですね。
年収が150万位下がるわけですから。
ただ、浜松のような地方都市に住むのであれば、この年収は
やれなくはない
という感じです。
めちゃめちゃ贅沢はできませんが。たまに家族で外食したり、友人と飲みに行ったりはできます。中古ですがマイホームも買えましたしね。
以前紹介した記事みたいに、携帯プランを見直したり、節約しながらやりくりするという感じです。
また、時間が出来たおかげで中小企業診断士などの新たなチャレンジも成功できました。
その結果。診断士としての副業が順調に伸び、1年後には本業と副業の収入合計で、東京時代よりも年収が増えました。
これからはパラレルキャリアで収入面も向上させていければいいなと思っています。
一つの会社にしがみつかない生き方を目指して
今、いろいろと副業を始めているところなんですけど、
自分の収入を一つの会社に依存するよりも、複数の収入源を確保する方が、今の世の中よっぽどリスクヘッジになるんじゃないかと思い始めています。
一つの会社に自分の時間もキャリアも全てbetすることは、結構リスキーなことなんじゃないかと。
今ある会社が10年後に存続している割合って、実は相当低いんですよね。
パラレルキャリアなんてよく言われていますが、皆さんも今後のキャリアについて改めて考えてみてはどうでしょうか。
結論から言うと、今回の転職は私にとって大成功です。好きに使える時間が3倍以上に増えましたからね。
あなたが自由な時間が3倍になったら、その時間を何に振り分けますか?